ジャパンカップ

hashikawa2004-10-24

先週はめちゃくちゃ忙しかった。練習も思うように出来なかった・・・と愚痴りたいところだが、忙しくしているのは何せ自分自身なんだからタチが悪い。先週の土曜日に入荷したフレームの生地を塗装し、パーツを組替え、26インチのジャパンカップ 決戦用マシンを仕立てた。既にこれまでTD北海道〜いわきクリテまで使っていたアテナがあるんだから何も忙しい思いまでして、愚痴りながら組み付けることは無かったのだけど、考えれば考えるほど、26インチのロードマシンは魅力にあふれている。
そして、体調が今ひとつの僕の戦略はズバリ「1周目から逃げる」ONLY!!前半から逃げて後続から追い上げてくる‘本命エスケープグループ’を前で待つ作戦だ。レース前日、宇都宮の居酒屋でビールジョッキ3杯を飲み干しながら交わされた、住田さんの戦略は「いいか、数元(KINANに所属する大学生)、お前は1周目からいきなさい!!」「えっ、僕も1周目から行く予定なんですけれど・・・」「じゃ、皆で行きなさい!!」と作戦会議は終了。2次会のラーメンへとなだれ込んだ。
部屋に戻り、「しまった、飲み過ぎ、食い過ぎだ」と一瞬後悔をするも、そこではKINANの社長も交えて大変いい話ができたし、とても有意義な時間だったのでヨシとした。
翌日、朝7時起床。2日酔いになるほど飲んではいなかったが、朝日が眩しく感じる。朝食を獲り、8時にホテルを出発。自走でレース会場となる宇都宮森林公園へと向かった。アップはじゅうぶん行ったし、スタート位置が少し後ろだったけれど、やる気満々。「行こうかな」と思いつつ、イタリア人がウルサイほど日本人のアタックを警戒している。数元はまだ動かない。古賀志の登りに入り、中間でミヤタ中川がアタック。いわきでも積極的な動きでレースを作っていたので、「中川とならいける」とよんだ僕はすかさずカウンターアタック。一気に加速し中川に追いつきそのままかわして、踏んでいると頂上では僕一人になっていた。下りきったところで数名が合流。12名の逃げが出来た。
メンバーはニッポ;岡崎、広瀬、ミヤタ;三船、中川、石田?、アイサン;新保、BS;福島康司、YouCan;鈴木、そして僕+外人3名。日本人9名はガンガンペースを作り、後続集団との差を広げていった。外人3名は全く引かない。
少しずつその差を広げ、1分50秒くらいまで広げたが、ラスト5周くらいから先頭集団のペースも落ち始め、ラスト3周で集団に吸収。僕はその周回は持ち堪えたものの、ラスト2周の登りで千切れ、40位前後でゴールした。

毎年、ジャパンカップは海外招待選手を目当てに観戦にくる観客が多い。実際にレースを走っていても、海外招待選手への声援が圧倒的に多かった。しかし、今年は日本人選手への声援がひときわ多かったのが嬉しかった。そして僕への声援は間違い無く自分自身への活力にもなりました。来年は逃げて、逃げて、それでも前でフィニッシュできるよう、頑張ります。これからも応援よろしく!!!

写真はジャパンカップで使用したベルグ プロトタイプ(26インチ)+ジップ カーボンホイール