ジャパンカップ 14.1km x 10 + 10.3km=  151.3km  UCI1.1

hashikawa2005-10-26


日本最大の観客動員数をほこるジャパンカップが、今年も観客数59,000人を集め10月23日宇都宮森林公園にて行なわれた。昨年はベストコンディションでは無かったので、「一発目立とう」と、1周目から飛び出したのだが、今年は前の週に行なわれた全日本実業団レース「飯田大会」にて優勝。上位入賞を狙える体調だったので、序盤からいくか後半勝負かかなり悩んだ。

定石通りの走りなら後半まで待って、主要選手のアタックに反応するのだが、「今年は海外プロチームの参加者数が少ないので、序盤から飛び出した場合、追う側となる海外プロ選手も小人数となるだろうし、その場合、主要選手のアタックも早い段階で決まる可能性も出てくる事から、先行も不利では無い。」と判断し、1周目のアタックから反応できるように準備した。結局、「1周目からいきたい」本音に対し、大義名分を考えていただけのような・・・

スタート。その直後からラバネロの選手がアタック!集団は長く伸び、海外招待選手は後方へ、日本人が集団前方を固めた。登りに入っても集団は長く伸び「チャンス」とみた僕がアタック。同時にミヤタの綾部選手もアタックしており、僕が前を引く形でペースを上げた。後方からシマノの青いジャージが迫ってくる。広瀬 佳正だ。広瀬はそのまま、僕の前に出て踏んでいくが、ペースが速くて僕が千切れた。1周目の登りは広瀬が先頭で通過、その後に僕が続き、集団から飛び出した、飯野(ラバネロ)、綾部、品川(シマノメモリーコープ)、が続き、下り終えてしばらくすると福島 康司(BSアンカー)が追いつき、6名の先頭グループが形成された。

6名は誰もがローテーションに加わり、お互いに警戒する事無く力強く踏み、集団との差を2分30秒前後まで広げた。いつもなら5分くらい、その差が開いてもおかしくないのだが、後続集団もプロ選手の人数が少ないので、「たかが日本人、たった6名の逃げ」でもきちんと射程距離に収めている。3周目の山岳賞は広瀬が獲得。6周目は福島。9周目に僕が獲得。7周目に綾部、8周目に飯野が遅れ、先頭は4名に。この辺りから、後続集団もペースが上がり、山岳賞を獲得し、一人で下っていたら、ランプレのちっちゃい選手が追いついてきて、「ローテーションしてペースを上げろ!」とジェスチャーしている。クネゴだ。

その直後10名くらいが追いついてきて、15名前後の先頭集団が形成された。ここまでは狙い通り。そこから、3名くらいが飛び出し、4位争いの集団はグルペットし、ゴールスプリントで集団で3位前後に入って、「橋川 健6位入賞」となれば、いいなぁ・・・というのは妄想で、ラスト15kmで、後続からさらに10名が合流。集団はさらに活性化し、ラスト2周回の登りで千切れ、27位で完走した。日本人最高位は7位の田代 恭嵩(BSアンカー)、優勝は昨年度世界ランキング1位のD.クネゴ

今回は数字=成績を狙っていた。調子が良い時に、ビッグレースが到来するチャンスなんて、めったにない。だから、当初、後半勝負のつもり、力勝負で本命の逃げに反応するつもりだったが、今年の海外プロは4チーム=たったの20人。これなら、先行が有利かも?と思い始め、1周目から行ってしまいました。結果的には山岳賞を取り、完走し、表彰台にも上がったのですが、今でもちょっと複雑です。後半まで待てば、10位以内も狙えたのではないかと・・・

10年位前、三浦 恭資さんに、ツールド沖縄のレース後、「橋川、いつまでもそんなレースしとったらあかんで。プロなら勝たなぁあかん」と言われた事があります。もう一度、心を引き締めて、今シーズン最後の沖縄で頑張ります。