全日本選手権個人ロードレース@広島  6位

hashikawa2006-06-25


今日は全日本選手権が広島で行われた。しかも雨。広島のコースも嫌いじゃないし、雨も嫌いじゃないし、体調も全日本選手権に合わせてきているし、まさに千載一遇チャンス。結果を狙って、中盤以降の動きに対応するつもりだったが、2周目にはオレのアタックをきっかけに6名で飛び出してしまった。「またやっちまたよ…」と思いつつ、「次の展開に備えて足をためていこう」と切り替えていた。メンバーは佐野:バン、山本、廣瀬:シマノ、柿沼:ミヤタ、飯島:アンカー、橋川の6名。その差は一気に2分まで開いたが、80km過ぎには20秒まで詰められる。エスケープグループは諦めムードが漂っていたが、ここで集団に捕まっては次が無い・・・と思った俺は皆を嗾けながら積極的に前を引いた。約13kmの周回を1周も走ると、その差はまた90秒まで開き、さらに100km過ぎには2分以上まで開いた。ここでペースアップしたのが一気に足に効いているのか、先頭の5名(山本はパンクで遅れた)は少しペースダウンそして、追撃の15名が集団を抜け出し、60秒くらいまで詰めているという情報が入った。130km過ぎにいきなり青いジャージが1名、先頭集団に追いついて来た。そんな情報は入っていなかったのでビックリした。別府である。彼は1分の差を一気に詰めてきて、そのまま先頭集団の前を約半周引き続けた。誰も前に出れないくらいのスピードで・・・ここで、集団は佐野、飯島が遅れ、別府、廣瀬、柿沼、橋川の4名に絞られた。ここで、恐らくチームのオーダーだと思うのだが、柿沼、廣瀬が先頭交代を拒んだ。野寺、鈴木というエースを抱えたチームの戦略としては妥当かもしれない。しかし、24歳(?)の選手が力勝負しようとしているのだ。ここで先頭交代を拒んだら人生における汚点になる。廣瀬に声をかけると気持ちを切り替えたのか、先頭交代に加わった。しかし、橋川も廣瀬もスタート後20kmから逃げ続け、前に出るのがやっと。殆ど、別府一人で走っていたようなものだった。
スト2周。登りで橋川が千切れるが、下りで追いつく。そしてらすと1周は‘オレの大嫌いなツキイチ’だけど、潔く引いて、千切れるよりここはとにかくツキイチでも最後まで逃げ切りたかった。後続との差は30秒。最後の登りで橋川、廣瀬が千切れ、後続から追い上げた、福島 晋一、鈴木真理、野寺に追いつかれ、そのまま2位争いのゴール勝負となり、僕はぺけで6位。

優勝は別府
約40秒遅れで野寺、鈴木、福島、廣瀬、橋川と続いた。


Special Thanks:masahif




やっと、マトリックスに対して結果を残せた。結果を残せないにも拘らず、僕のワガママを聞いていただいた監督の安原さん、チームメイト、協賛企業、そして会場まで‘橋川の応援に駆けつけてくれたファン’の皆様に感謝します。そして、誰よりレース前、栄養士に相談しつつ食事の管理から、合宿中家を守ってくれたヨーコにも感謝!
今回は6位という成績に満足しているけれど、来年は6位という成績では「残念でしたね」と言われるレベルまで自分を取り戻せるよう、残るレースは頑張ります。


今日は全日本選手権以外にもう一つ、長年日本のロードレース界を牽引してきた三浦 恭資の引退レースとなった。僕は高校生の頃から三浦さんの背中を追いかけてここまでやってきた。今日も10位前後でフィニッシュしている実力を考えれば、まだまだ走れる力を持ち合わせているのだが、これからはナショナルチームの監督として牽引していく。

初めて三浦さんと声を交わしたのは94年の全日本選手権。浅田選手(現バン監督)に「受付どこ?」とタメ口を利いてしまった時にたまたま三浦さんが通りかかり「橋川なんや、その口の利き方は!」と窘められたのが、最初である。その時はレース前だったし、熱くなっていたし、カチンときたのだが、今思えばそういうアドバイスをしてくれる先輩ってこれまではいなかった。でも選手である前に、社会人として当たり前のことである。そういう「嫌われ者」な役目を大人たちは嫌う。だから、後輩の指導ができずに、挨拶ができなかったり、お礼や謝罪を素直に言えない、未熟な大人が多い。すでにそうだけど・・・これからはますます、嫌われ者になって「ウルサイやつ」となるよう僕も精進します。本当に長い間ありがとうございました。これからもビシビシ言って下さい。よろしくお願いします。