富士山ヒルクライム ロードレース

このコースは05年 TOJでも使われたあざみラインと呼ばれる平均勾配10.5%、最大勾配23%のエゲツないコースで行なわれた。3日前の練習で登りのタイムを計ったら特に良いタイムでは無かったし、特に狙っていたわけでもなく、20番以内に入れれば良いかな・・・と思いつつほぼ最後尾からスタートした。
が、スタートしてみるとやはり熱い血がたぎってくる!徐々に前に上がり4km過ぎぐらいで集団の前に出れた。既に数名が飛び出し、さらに遅れて10名くらいの小さな集団が目の前にいるのだが、彼らとの差が中々つまらない。シマノの廣瀬 佳正選手と先頭交代しながら少しずつ前を詰めた。廣瀬は根性のあるやつで、後ろに俺がついているのを承知でペースを落とそうとしない。でも、それじゃ、俺が「元後輩」を睨みをきかせてただ利用しているているようで嫌だったので、俺も前に出てペースを保った。少しずつ、前との差をつめ、中盤を過ぎたあたりで追いついた。200mの差を詰めるのに、20分くらいかかっていると思う。

ちょうどこの頃、凄い勢いでBSアンカーの選手が追いついてきて、そのまま前に出て、一人で行ってしまった。「そんなに足があるなら、初めから前に行ってろよ!」と思ったのだが・・・実はBR-2の選手で1分遅れでスタートし追いついてきたらしい・・・

「前は恐らく、10人くらい行ってるのかな・・・」と思いつつ、23%の激坂を26インチで39×26のギアをつけたベルグを斜行させながらクリア。気が付くと、10名いた小さな集団はバラバラになり、遠くにミヤタのジャージが見えた。「あそこまで頑張ろう」とロックオン!またもや、ちょっとずつ差をつめ、ラスト2kmで追いつき、そのままちょっとペースを上げて追い越した。アタックなんてもんじゃなくて、追い越しだね。後方にいる宮田の西村選手を視野の隅に捕らえながら、常にプレッシャーをかけられながらも、なんとか逃げ切ってゴール。10位くらいかな・・・上出来!!と思っていたら6位でフィニッシュしていた(が、BR-2 の選手はBR-1 の成績から除外されたのでリザルト上は5位だった)。優勝は狩野選手:シマノ、以下、別府選手:アイサン、綾部選手:ミヤタ、新保選手:アイサン、橋川:キナン、西村選手:ミヤタ、飯島選手:ラバネロと続く。長沼選手はタイム的には別府選手より速かったらしい。今回の僕の成績は、上出来だと思うのだが、前半ペースを抑えて登れた事と、クランクの長さを175mmに付け替えた事、そして踏み出しが軽くて登りで有利な26インチのベルグの性能が、うまくかみ合ったと思う。


日本で競技生活を送り、「10年前とメンバーが変わらないなぁ・・・10年前10位だった選手が今はトップにいて、トップにいた選手が10位くらいにいるだけで、中の面子はなんら変わらない・・・ただ平均年齢が10歳上がっただけだ」なんて思っていて、事実実業団のレースを走る限りそう思うのだが、今回BR-2で優勝したアンカーの長沼選手は20歳。

アンカーの清水 ミヤタカ選手もアンダーじゃないけれど、まだまだ若いし、長沼選手、アイサンの盛選手、ディスカバリーの別府選手と確実に、そして一気に世代交代の波が押し寄せている。そしてこの波はBIG WAVE であるような気がする。
10年以上前、僕自身が言っていたのだが、「僕がツールに走れるかは分からない。でも僕みたいな選手が50人いたら、5人くらいはツールを走って、1人くらいは区間優勝する可能性もあると思う」って言っていたんだけど、今、若い世代で層が少し分厚くなっている気がする。ちょっと嬉しいし、余計なお世話だがかなり期待もしている。それを支えている監督、スポンサーも大変だとは思うけれど、頑張って彼らを支えて欲しい。

日本で走っているアンダーの選手はもっと危機感を感じるべき。海外に行けと行っているのではない。海外で走って自己満足で終わっている選手の方が多い。日本でも強くなれる環境はあると思うが、競技に対する気持ちの持ち方からして違うと思う。

なんだか、小姑の愚痴になってきたからもうやめよう。俺もBIG WAVEに乗れるように頑張ります。