Jim Ochowicz と Tourde France

ついにCadel Evansがツールで総合優勝を飾った。今年の彼は後手に回る事が多かったが、それでも実直なレースはいつしか僕を応援させていた(時に実直過ぎてイライラさせられたけれど)。もちろん、Evansの優勝は誰もが認める「チャンピオン」のレースであり、彼の元MTB選手として注目されたキャリアや、ツールで2回も2位に終わっているストーリーはファンの心を引き付けていると思う。

で、個人的にもう一度スポットライトを当てたいのがJim Ochowicz(ジム オコウィッツ)。彼は80年代にアメリカで7-Elevenチームの監督としてチームを興し、84年のロスアンジェルスオリンピック後にプロチーム登録。プロ1年目の85年、イタリアでのデビュー戦でロン キーフェルが優勝。その年のジロの出場権を得て、初参戦ながらにして区間2勝。

その翌年の86年にはツールの出場権を得て、第一ステージで逃げを決めたAlex Stiedaがイエロージャージを獲得。1日で失う事になるのだが、第3ステージではDavis Phinneyが区間優勝。プロ登録2年目のアメリカのチームがツール初参戦で得た成績としては十分過ぎる結果を得た。

その後チームは盤石の態勢を築き、86年にはジロでAndy Hampstenが優勝、93年には世界選手権でLance Armstrongが優勝。ツールの総合優勝も目前に見えたのだが、Lanceに癌が見つかり、さらに時を同じくしてチームのスポンサーが撤退し、1996年を最後にJimの率いるモトローラは解散した。

その後Jimは世界選手権やオリンピックにおいて、監督としてナショナルチームを率いてはいたが、自らチームを運営する事は無かった。

2007年、Jim Ochowicz はチームBMCを興し、アメリカを中心に活動する「ドメスティック」なプロチームのオーナーとなった。そして毎年チームのスケールアップを図り、2010年にはヨーロッパへの進出とともに2008年の世界チャンピオンだったアレサンドロ バラン、2009年の世界チャンピオン カデル エバンスを獲得した。ヨーロッパ進出2年目となる2011年、カデル エバンスによりツールドフランスで優勝を果たした。

こうして考えると、Jimの監督としてのキャリアには「栄光」しか無いように見える。しかし、ツールでカサルテリを失った時、モトローラと言うチームを失ったとき、Lanceの癌が見つかった時…それぞれのシーンで失望を感じた筈だ。


7-Elevenがツールに初参戦して25年。遂にJimはツールで頂点に立った。

おめでとうございます!

写真右がJim Ochowicz