hashikawa2008-03-20

今日は起伏のあるコースを100km、良いペースで走った。シーズンも開幕し低強度で長い時間走るトレーニングも必要だが、より実践的なトレーニングと言える。

昨日のレース観戦の帰り、古い友人宅によった。Freddy Heydens。多くの日本人が彼に世話になっている。シマノがヨーロッパ進出をした70年代。フレディはフランドリア シマノと言う世界チャンピオンのマルテンス、ジロを総合優勝したポルンティエなど超一流選手を抱えたチーフメカニックだった。僕は18年前、90年に始めてベルギーに来たときの1ヶ月ほどを彼の家にホームステイし、その後彼の紹介で別の家に居候の身となった。

90年〜92年の3年間は彼のショップでお手伝いしながら本当に多くのものを学んだ。ホイールの組み方もそうだし、整備に対する信念。後者の方は彼の足元にも及ばないが、ホイール組に関してはかなり信用されるようになった。と言ってもやはり彼にはかなわないが…フレディのホイールは最初からちょっとフレテいる。気にしなければ気にならない程度だけど。だけど、それ以上フレたりスポークが折れる事が滅多に無い。給料というものは無かったが、ショップと言うよりはアトリエ?工場?と言った雰囲気やそこに集まる多くの人とのコミュニケーションがとても居心地の良いものにしていたし、晩飯を毎晩のようにご馳走になった。そう言えば、夜の12時まで一緒にホイール組をしていた事もあったけ。夜食のサンドウィッチをビールで流し込みながら…

93年は僕にとって勝負の年だった。フレディに「来年はプロを狙っているし、申し訳ないけれど、今年はこれまでのように手伝いができない」事を伝えた。93年、僕はベルギーのアマチュアのトップカテゴリーで、上位に食い込む走りをし、翌94年にサクソン(現ランドボウ クレジット)と契約した。

その後フレディは自転車屋を閉め、またプロチームのメカニックに戻った。ロット、クイックステップなどの一流チームのメカニックを経て、昨年限りで事実上の引退をした。しかし、彼のメカニック魂はまだ不屈で、ガレージに小さなアトリエを開いて、昔の馴染みの客へのサービス等を行っていて、今でもたまにクイックステップの手伝いをしているらしい。僕の手組みのホイールを見て「どうしてこんなクラシックなものを使っているんだ?」との問いに僕は「ショック吸収性が良いし、壊れにくいし、万が一壊れたときの応用が利くから」と答えると、フレディは「パリ−ルーべとフランドル 1周の為に手組みでホイールを組まなくてはならないんだ。20ペアほど…最近のメカニックはホイール組みすら出来ないんだ…」と嘆きつつちょっと誇らしげに話してくれた。

彼と再開して昔の思い出がどっと溢れてきた。やっぱりベルギーはいいなぁ…本気で住みたい…と思った。