ウルサイ オヤジの戯言

ウルサイヤツが引退した。廣瀬 敏。廣瀬とは確か2000年のランカウィのナショナルチームで一緒になり、それから色んな話をするようになった。彼がレース前に集中している姿は他のものを寄せ付けない威圧感があり、またレース中もレース後も思ったことをストレートに表現する性格から、集団の中にいる若い選手達の間では「怖い先輩」として映っていたと思うが、裏表の無い好漢でありレースにおいては勝負強く、数少ない「勝ちにいける選手」だ。

僕にとって彼との「勝負」で一番印象に残っているレースがツールド北海道 2003。当時僕が所属していたBSアンカーのエースは福島 晋一と田代 恭嵩の2人。第3ステージの時点でリーダーはNIPPOに所属するイタリア人。彼を中心としたNIPPOの牙城を崩すことはとても難しいと感じていた。しかし、第3ステージでアシストを中心とする15名前後の逃げが決まった。主なメンバーは狩野、阿部(シマノ)、田中(アイサン)、廣瀬、岡崎(NIPPO)、橋川。この時点で暫定のリーダーは岡崎。しかしホットスポットで僕は3回トップで通過しボーナスタイムで逆転。この時点で暫定リーダーは僕になった。NIPPOとしては厳密に言えば引く理由は無い。集団では絶対的強さを誇るエースがいて、逃げる先頭集団ではアンカーの橋川がリーダーになってしまったからだ。そこで岡崎も廣瀬も引くを止める。だから、僕も止める。すると先頭集団はペースが乱れバラバラになり、そこからアタックする選手さえ現れた。ここで逃げを逃してしまうとNIPPOとしてもアンカーとしてもよろしくないが、僕は1人。NIPPOは2人。そこでNIPPOは廣瀬をローテーションに加えさせ、このまま逃げ切りたい僕もローテーションに加わる事で、先頭集団は再びペースを取り戻し逃げが決定的となった。

先頭集団が動いたのはラスト20km。小さな丘で廣瀬がアタック。雨の中僕の目の前で、後輪をスリップさせながらアタックしていったのを覚えている。それに続いたのが狩野と田中。今になって冷静に考えれば絶対に逃してはならない逃げだったのだが、まだ後ろに12人もいる(そこからNIPPOシマノの抑えを差し引いても10人)…と思うと様子を見てしまった。そのまま廣瀬を含む3人は最後まで逃げ切り、廣瀬が区間優勝し、リーダーとなった。その後彼は素晴らしいレースを展開した。リーダーとなった廣瀬はチームのエースとなったわけだが、先輩となるチームメイト達にも的確に指示を出し、チームメイトが動けないときは積極的に自分から動き、最後までリーダージャージを守りきった。昨今のレースでは無線が当たり前のように普及し、多くの選手はエースだろうがアシストだろうが、監督もしくはキャプテンの指示によって動かされている。まるでゲーム版に並べられた駒のように。しかし、彼のこの時のレースは違った。もちろんチームメイトのアシストもあったにせよ、彼の実力そして自分の意思と判断で動き勝ち取った見事な勝利だった。この時BSアンカーは「絶好調の2人のエース」を差し置いて「自分から勝負しにいった橋川」によって勝利を逃してしまった。僕も逃げている間中葛藤はあったし、レース後も自分の責任について深く考えた。それ故、この時の廣瀬の勝利に対し賞賛の言葉を公に述べることが出来なかったのだが、もう時効だろう…

嫌われ者になる役と知ってながら、「怖い先輩」となった廣瀬 敏。怖い先輩が次々と減っていくがレース会場のマナーや集団の中の秩序は保たれて欲しい。幸い「怖い先輩」はまだ集団の中にいる…。彼らに続く後輩も更に後輩に対しビシビシやって欲しい(笑)!