ゴメンナサイ & ありがとう

ブログの更新が遅れてしまった。ゴメンナサイ。ベルギーから戻り時差ボケのまま早寝早起きの健康的な生活が身に付き、今は子供達より早く9時PM前には寝て、早朝5時くらいに起きています。目覚まし無しで朝5時に起きてハーブティー(Green Tea と書いてあって「緑茶」期待して購入したら、思い切りハーブティーだった。しかもレモンバーム系。)をサーモスのポットに入れて、砂糖をたっぷりと入れて、PCの前に座ってゆっくりとお茶するのが最近の贅沢です。選手たちがやってきたらそんな贅沢な時間を過ごす事も無くなってしまうのかも知れませんが、できる今のうちに贅沢をしておきます。

そしてありがとうは、Mas Ciclismo のNacoさんのニュースに橋川の昔話を掲載していただきました。年末年始からピックアップしていただき光栄です。12月31日、1月2日、1月4日 のニュースに掲載していただいたのですが、それに対するお返事をここでさせていただきます。Nacoさんに直接送ることも考えたのですが、ちょっと長くなるのでNacoさんのページを占拠してしまうと申し訳ないので(笑)、お礼を含め返答させていただきます。情報を提供していただいたSSさんやMt.-Fuku さん達を含め、今でもファンの方に見ていただける事に大変嬉しく、感謝しております。

ありがとう。

さて、SSさん及びMt.-Fukuさんの投稿に対するResです。

ミズノとは僕がアマチュアだった93年から契約していただきました。アマチュアでしたので契約金こそ少ない金額でしたが、この資金により中古のBMWを購入し、下宿先の大家さんの怒りを買ってしまい、家を追い出されたのは今となっては懐かしい思い出です。

ミズノとリマサンズは当時、技術提携を行っており、契約選手も浅田 顕さんと橋川の二人とも2社と契約をしていました。

Mt.-Fukuさんが仰る通り、ミズノは「ラフィカ」ブランドでフレームの開発を行い、フレームの開発から撤退後もフォークの開発を続け、それがミズノ アドバイザーとなっていたA.ペゼンティ氏(元チネリ チーフビルダーチネリのレーザーは彼の手によるものです)の仲介によりDe Rosaへの供給が決まりました。当時は確かジオスなども採用していたと思います。

96年のミズノのカタログは多分、95年のジャパンカップの時の写真だと思います。

実はジャパンカップ開催の数日前、トレーニング中に落車。ろっ骨を折り、瞼を数針縫い、眼は充血したままの恐ろしい状態だったのですが、「この写真」の撮影の予定が入っていた事もありジャパンカップを出走することにしました。拡大していただいている顔写真の右側にテープが貼ってあるのは縫合後の処置です。

ウェアのスポンサーロゴはMIZUNO、リマサンズ、が貼ってありますが、これはチームからの承諾を得て、国内でレースを走る時にのみ着用していました。サクソン加入時に持参した・・・・と言うのではありません。ただ、2年目(95年)になり私が個人でスポンサーを受けていた三ツ星タイヤさんがヨーロッパでより多くの実走テストと情報が欲しいということで、私が仲介したことはあります。

SSさんとは、なかなかJCでお会いする機会は無いかも知れませんが、このようなカタログなどに指名でサインをさせていただけるのは選手’冥利に尽きると言えます。いつか、サインできる日を楽しみにしています。

そうそう、93年、大家さんに追い出されて、転がり込んだ先が当時フランスのプロチームに所属していた浅田 顕さんのところでした。後に浅田さんの下で走ることになるとは、想像できませんでしたが、狭い業界ですので、どこかでつながっています。そして今後も繋げていかなくてはと思っています。